◆ビッカリ村を選んだのは
今回私がこのプーリア州フォッジャ県にある小さな村Biccari(ビッカリ)をお料理研修の場所に選んだのはひとつの偶然な出会いからだった。そもそも私の周りにはプーリア出身の人が多く1年ほど前まで一緒に住んでいたマルコという建築デザイナーの彼もそうだった。ビッカリ村の名は彼の育った場所でもあるし両親の家もそこにあるので何度も聞いていたけれどプーリア人にさえあまり知られていない場所だという事を知ったのは今回のツアーを計画した後だった。
マルコの従兄弟の1人にアントニオというこれまた建築デザイナーがいる。フィレンツェで長年暮らしていた彼は現在実家へ戻り仕事をしているのだけれど数ヶ月に一度はフィレンツェに来る。その度にお母さんの作るお料理を一体何人分?
と思うくらい何種類も沢山持ってくるのが習慣で当然の事ながら私も毎回お相伴に預かっていた。そのお料理の美味しさには毎回ため息が出るほどで、息子のアントニオはもちろんマルコにとっても自慢のおばさんであった。
2003年の年末に恒例のごとくアントニオが我が家へ来ていた時、冗談交じりにお母さんのお料理を習ってみたいと言ったところ翌月彼がフィレンツェに戻ってきたときにはお母さん(ルチアさん)が快くOKの返事をくれたとの朗報。
5月末にようやく時間が出来、念願のプーリアへ。滞在させて頂いた10日程の間過去に例を見ないほどの寒波に襲われほぼ毎日雨ばかり。天井の高い歴史ある大きなそのお宅では寒さが身に堪え、さすがにリスカルダメント(暖房)を入れたほど。ガルガーノ(プーリアかかとのあたりの海があるきれいな街)に行けなくて残念だねと、何人にも言われたけれどお料理を習いに来た私にはもってこいだったといっても良いかもしれない。だって、あまりお天気が良かったら恨めしくなったかもしれないから。
何はともあれ、この滞在で南の女性の働きっぷりを、特に「筋金入りのマンマ」と呼ばれる世代の人の生き方を目の当たりにする事となる。
朝から夜まで休むことなく家族の為に働く。せっせ、せっせと働く。男は台所仕事など一切しない。お皿も並べない、後片付けもしない(アントニオはお皿の上げ下げは手伝っていたが)。
もちろんルチアさんには私の為に普段より沢山仕事をさせてしまったのは言うまでもない。
彼女のお宅には台所が2つある。いくら家が大きいからといっても、これには私も驚いた。私が寝室として借りていた部屋の隣にもうひとつの台所がある。そこは主にパスタ生地をこねたりドルチェを作ったりするいわば作業場。「粉を使うとあちこち汚れるでしょ、それにいちいちパスタ台を出したりしまったりするのは大変だけど私にはここがあるからね」と嬉しそうに話してくれたルチアさん。
「これはあの子が嫌いだから」とか「主人が好きでね」とどんなお料理にも家族に対する愛情が溢れんばかりで、時々私から出る「何故?」という質問には全てそういう答えが返ってきた。
そういう心がけで何十年も過ごして来たルチアさんのお料理はプーリアの代表的な伝統料理とは少し違うものになっているかもしれない。それでも彼女のお料理はとても優しくあたたかく、食べた人を幸せにしてくれる。
ビッカリ村でも最近の若い女性はみな外に働きに出ており、全て家で手作りするスローフードという伝統的な食事のスタイルは失われつつある。ルチアさんのような主婦はもう次世代にはいなくなってしまうかもしれないが、遠く離れたフィレンツェで彼女の考え方を受け継ぐ人間が1人くらいいても良いのではないだろうか。沢山の美味しいレシピの他にもルチアさんから教わった貴重なものは私の人生のレシピ帳に書き留めた。
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